他人と比較するのは最も愚かな行為

今日の話は、「他人と比較するのを辞める」という話です。

 

この話はかなり重要な話です。

 

他人と比較をすればするほど

不幸への道に突き進みます。

 

他人と比較すると必ず不幸せになり、

毎日が辛くて、毎日が苦しくなります。

 

しかし、アナタが真剣に今日の話を聞いて、

そして理解すれば

 

一瞬で劣等感が吹っ飛び

他人の目が一切気にならなくなり、

 

そして毎日が幸せに包まれて

明るく笑顔で充足した日々を過ごせるようになります。

 

不幸の始まりは他人と比較した瞬間から始まる

 

他人と比較するという行為は、

自分を認められなくなることに他ならないのです。

 

「今日、俺はこれだけ頑張ったんだ!」と思っても

 

「でもな…俺より頑張ってる人は沢山いるし」とか

「俺に比べたらあいつはあれだけ結果がでているし」とか

最後は「どうせ、俺なんてダメだよ…」になってしまいます。

 

多くの人は他人と比較するとき、

どうしても自分を乏しめてしまう傾向にあります。

 

 

隣の芝生は青く見える

 

仕事でも実生活でも何でもそうですが、

私たちは常に誰かと「比較」し「比較」されて生きてきました。

 

例えば、兄弟がいる方は分かりますが

「お兄ちゃんみたいになりなさい」とか

「弟と比べてお兄ちゃんは国語の成績が良くない」とか

 

学校でも、社会でも、家庭でも常に誰かと

比べられて比較し比較されて生きてきました。

 

  • 誰々さんの家の子供は学業が優秀で○○大学出なの…
  • 隣の家の○○さんはあんなに良い車に乗っている
  • あの人の収入はすごい
  • あいつと比べると俺はまだまだだ
  • 誰誰よりも背が低い、背が高い

 

このように比較対象はものや、人、成績、収入、外見

持ち物、身長、性格、家柄、学歴など

ありとあらゆるコトやモノなどを比較し比較されて生きています。

 

比較すること自体は良い面もあるのですが

しかし大抵、比較したり、比較されたりするときは

自分の悪いところと相手のいいところを比べてしまいます。

 

それは、幼いころに学校だったり両親だったりに

植え付けられたトラウマや自己嫌悪、劣等感からくるんですが

アナタは他の誰でもないアナタ自身を認めることができないのです。

 

人間関係は2通りある

 

人間関係とは対人関係だけだと思っている人がいますが

もう1つ人間関係があります。

 

それが、「対自分関係」というのです。

 

多くの人は意識的にも無意識的にも対人関係を気にします。

 

話し方、身の振り方、持ち物、付き合う人、服装、話す内容…

 

それは良いんです。

 

しかし、対自分関係を疎かにする人が非常に多いのです。

この対自分関係を疎かにしてしまうとどうなるか?

 

早い話が不幸になります。

 

遠い人は褒めれても、近い人は褒められない日本人

 

日本人の不思議な点は、自分から遠ければ遠い人ほど

褒めるけど、近ければ近くなるほど、褒められなくなるのです。

 

例えば、「天皇陛下はあの歳で公務をこなされてご立派だ」と

誰でも褒められます。

 

「ウサイン・ボルトが金メダルをとってスゴいな!」と

褒めることができます。

 

しかし、会社の部下や上司を褒めることができますか?

家族を褒めることができますか?

アナタ自身を褒めることができますか?

 

と言われると「う~ん」と考えてしまうのではないでしょうか。

 

自分とは全く関係なさそうな人はいくらでも

褒めることができるのですが、最も大事な目の前にいる人と

自分自身に対しては途端に褒めることができなくなるのです。

 

褒めることが出来ない人と出来る人の違い

 

どんな人でも褒めることが出来る人と

どんな人にも褒めることが出来ない人がいます。

 

この最大の違いは、誰かに褒められた、認められた、

そういう生き方をしたかどうかなんです。

 

特に両親からきちんと

認められた、褒められたという経験のある方っていうのは

かなり少ないのではないでしょうか?

 

しかし両親を恨んではいけません。

 

なぜなら、アナタの両親も

ほとんど認められることなく、育ったからです。

 

不幸は連鎖していく

 

心理学では「あなたが両親から与えてもらえなかったものは、

両親もまた与えてもらえなかったもの」という格言があります。

 

ですので、実はアナタの不幸は

その親から来て、その親の不幸はまたその親から…

このように不幸が代々と受け継がれて連鎖してきたのです。

 

不幸はアナタの代で止めなければいけないのです。

 

ひと昔前の日本は「男児たるもの褒めるなんて甘やかすのと同義!」

みたいに厳しく律することが良いという風潮があったので

仕方ありませんが、昔から日本人は褒めることが苦手なのです。

 

 

人は褒められて幸せになる

 

褒めるという行為は、他ならぬアナタを認めていますよ

ということになります。

 

しかし、私たちは「褒められる」方に努力して

「褒める」という努力をしません。

 

多くの人は褒められたがっているのに

褒めてくれる人が少ないのです。

 

まさに需要と供給の話と同じで

人を褒める人間というのはそれだけで

物凄く価値が高いということです。

 

だから褒めることが出来るようになれば

それだけでその人は物凄く価値があるし

立派だし、どんな才能よりも光り輝くものになります。

 

この褒めるというのは、先ほどもいいましたが

他人だけではありません。対自分も含めてです。

 

そうなった時に、褒めると言っても

人と比較して「あいつはさぁ…」となってしまうのが

人間の心情というもの。

 

「そんな、急にとても褒められないよ」と

なってしまう人もいるのではないでしょうか。

 

では、どうすればいいでしょうか?

 

「許します」

 

「許します」この言葉を幸せの呪文だと思って

1日100回唱えてみてください。

 

これだけで幸せになります。

 

「許します。」

 

心に思ってなくてもいいです。

(本当は思ったほうがいいけど)

 

ただ心で思ってもないことは言えない人もいるでしょうから

まずは思ってなくてもいいので、声に題して「許します」と言って下さい。

 

辛いことがあった時も「私はわたしを許します」

「私は○○さんを許します」

 

なぜ、許しますなの?

 

「でも何で許しますなの?」と思う人が

いるかもしれません。

 

人と比較する無意識の中には、

大抵は自分を認めてくれなかった

誰かを許していないからです。

 

人と比較すると必ずといっていいほど、

自分を攻撃してしまうのは、自分が認められないからです。

 

自分を認めることができていれば

自分に対して優しくできるし人と比較することが

愚かだとわかるからです。

 

私達は自分が認められないとき、

比較の罠にはまってしまうとき、

無意識的に「自分にはそんな資格がない」と思い込んでいるのです。

 

自分を認めるために許すのです。

 

自分を許し、そして認めることができた時に初めて

人と比較すること無く幸せな道に進みます。

 

そして他人を心から褒めることができ

また自分を心から褒めることができるのです。

 

比較という悪循環を断ち切り、幸せの道に入るチャレンジ

 

この「許します」というのは人によっては

物凄く難しいチャレンジになるかもしれません。

 

アナタを認めてくれなかった両親

家族、先生、友達などを許すのです。

 

「あいつは、俺にあんな事を散々したのに?」とか

「あいつだけは許せない」とか

「あいつが俺にした仕打ちを忘れない」とか

 

その人を許して、認めるというのは

かなり困難なチャレンジです。

 

しかし幸せになりたいのならそのチャレンジを

してみてください。

 

完璧でなくてもいいです。

あなたの苦しみという呪縛から解かれるためにやるのです。

 

そしてアナタを認めてくれなかった人も

アナタと同じように苦しんでいるのです。

 

不幸の連鎖をどうか断ち切って下さい。

 

自分を酷く扱った両親を

自分を酷く扱った自分自身を許してあげてください。
その時、比較の悪循環から抜け出して、不孝の呪縛から解かれ

幸せの道に入るのです。

 

「許します」この言葉を口癖のように唱えて見てください。

 

 

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